2008年04月07日14:42 東京は雨が降り出してきた。
今夜は今年最後のお花見会に誘われている。予定変更はない。
丁度この雨でソメイヨシノはきっぱりとその花びらを落とすだろう
「花は櫻木(さくらぎ)、人は武士」といわれた時代は意外に短くこの350年ほど。櫻ばかりが花ではないが、惹かれ続ける私がいる。
櫻前線は日本列島まだまだこれから楽しめる。前線を追って旅する夢は捨ててはいない。
さて、3月、4月は別れと出会いの月。
いろんな思いで4月を迎えた人も多いのではないだろうか。
弟子が孔子に「先生の教えを一言であらわすなら、それはどういう言葉なのでしょうか」と聞いたとき、孔子が一言「そ(其)れ恕(じょ)か。」と答えたのは「論語」の中の周知のエピソード。
「恕」=ゆるす、という語は普通、「寛恕(かんじょ)」「宥恕(ゆうじょ)」「忠恕」のように熟語で用いられる。私が求められて、色紙に書くときに選ぶ語のひとつでもある。
この時期、いろんな出会いと別れを、櫻を目にしながら、胸の中であらためて咀嚼(そしゃく)するとき、私は「恕」になかなか行き着かない自分に赤面する。
人の欠点を見つけることが上手で容赦なくそれを論い(あげつらい)、逆にたったの一言で、すぐに傷つく日頃の私は、もしかして、こころのどこかに「自分は善人だ」という思い上がりがあるのかも知れない。
自分が善人だから、「自分は人を傷つけたりはしない」と思い上がれるのだと気づいて櫻の前に項垂(うなだ)れる。
出かけようとして、足元を見ると、雨に打たれた花びらが、ほのかな香りと色を残して、道の両側に重なりあって沈んでいる。
生きていれば人を傷つけることだってあるよ。一生懸命生きたって、ひっそりと生きたって、人とのかかわりを持たないでは、生きられないんだもの。
ゆるしてあげることもたいせつなのよ〜
花びらの群れが雨と風に微動しながら、そう私にささやいてくれた。
花冷えの夜になりそうだ。
コートを取りに引き返した