わたしたちは日常生活の中で、先人達の創意工夫してきた恩恵に浴していることを忘れるわけにはいきません。この50〜60年をふりかえって見ただけでもどうでしょうか。健康法も挙げきれないほど紹介され、多くはおおいに役立ってきました。私は、ガンを罹った時に、蘇りたい一心で天井に2回届くほどガン克服法や健康法や禅、各種武術の延命法の本を読みました。それでわかったことは、次の3点でした。
からだは動くようにできています。内臓は働くように、関節は曲がるように血液は流れるようにできています。これらのどこか一ヶ所でも滞ったら、故障したら、病気にかかったということになります。その時はいつもの通りに元に戻して(流して)やれば良いだけなのです。
現代人は、何でもすぐに手に入る情報を持っています。治療法もすぐに最新式とされている方法を取り入れようとします。けれども人間は、自然に近い部分を多くかかえた生命体のひとつです。ですから、すぐに飛びつくのではなく、ながい歴史の中で受けてきた先人の知恵の恩恵を思い出した方がいいことがあります。
なんでも新しいものに目を向けてしまうのではなくて、ちょっとした変化があったときに、一呼吸おいて、平常心を取り戻したいものです。そのためには、いつも自分のこころとからだによく向き合っていなければなりません。よく付き合っていなければ、こころとからだの変調に気づかないのです。からだは、外科的方法で「切ってしまえばよい」というものではないのです。
わたしたちは呼吸をして空気を体内に取り入れ、酸素を体内にめぐらせる。また、食べ物を食べて、その栄養素を体内に取り入れ、それを血液に乗せて体内にめぐらせていく。しかし、体内に感じるエネルギーはそれだけでははかり知れないものがあります。とぎれることなく、内面から湧き上がってくるもの、それが気力ではないでしょうか。
意識的に深呼吸をすることによって、自分の体内の「氣」のめぐり方をコントロールし、自分の体内にある「気」のバランスを整えることができます。
気力を体内でめぐらせ落ち着かせ、練りあげていくと、氣という純然たる「元気のエネルギー」となり、心をも作用します。
氣功法の呼吸法も、意念=イメージをともないます。呼吸をするにつれて、大地の「氣」が身体の中に入り、身体をめぐり大地へ帰るという循環作用が体感できると説きます。
「氣をめぐらす」ということは、もらったものは必ず返すとういこと。自分のところでとどこおらせない事が、大事なポイントです。出す一方であれば、すぐに憔悴し、貰う一方であれば、悪いものも出て行かない。生きている限り 「めぐらしておく」 ことが大切です。
人間も動植物もみんな呼吸をしています。呼吸をするということは必ず排泄をするということで、排泄を伴わない呼吸はありません。つまり生きているということは、それだけで周りに迷惑をかけている(影響を与えている)存在であることになります。
樹木や動物は養分を吸い排泄し他の生命の元となりますが人間は、自身の排泄物ばかりでなく、食べ残すことも食べないのに他の生命を奪うことも、森林を伐採することも平気でします。消費した残骸をすてるということもするのです。こう考えると呼吸と排泄のバランスが取れていない生き物が人間であるといえます。
さまざまな生命の恩恵に浸りつつ、他の生命に迷惑を及ぼさずには呼吸(生きる)できない、やっかいな存在であることを、わたしたち人間は常に頭の隅にでも置いておくぐらいの謙虚さを持つ必要があります。そうしないと、将来にわたって自滅の道を突き進むのではないかと危ぶまれます。自然と一体になってよく生きたと満足して自然に還っていくことができるのか、考えてみる必要がありそうです。「真の呼吸を身につけて、生ききる」ことで最期の一呼吸を自然体で行えるよう呼吸法を練っていきましょう。