文語百選『日本語はこんなに美しい』出版記念パーテイー     2008.7 安田 倫子

2008年7月7日午後6時から麹町の都市センターホテルで文語百選『日本語はこんなに美しい』海竜社刊の出版記念パーテイーが開かれた。(写真左中央私、左岡崎大使、右藤原先生、奥加藤大使)

 

 

文語の苑」というサイトを見てくださいね。

 

何とか日本の精神文化を文語によって後世に伝えていきたいという情熱を持った人々の集まりで、百人ぐらいが集い、大変盛会だった。

代表幹事の愛甲次郎先生(元クウエート大使)をはじめ、ゲストの藤原正彦御茶ノ水女子大教授、岡崎久彦(元タイ大使/枕詞を多用した流れるように美しいリズムを持った文章でのご挨拶)、司会を加藤淳平(元ベルギー大使)の各先生方が手分けして會の進行に努めた。 山谷えり子議員も国会で文語を残す運動をしてくださっているとお話があった。

 

私は「国語問題協議会」(文語や正漢字を残そうという運動をしている)の評議員として30年近くなるが、そのご縁で5年前に愛甲先生が中心となって起こされたこの「文語の苑」にもお誘いを戴き、今回は宮本武蔵の「五輪の書」の解説担当で、執筆者の末席に名前を連ねている。(氣の世界の修行者でもある愛甲先生は「倫子塾」に1年にわたって瞑想指導にいらしてくださった。)

 

どの文章もルビつきで、新しい解釈なので是非読んでいただきたい。

 

藤原先生もおっしゃったが、生活の言葉で芸術を表すのは無理で、日本語の文語は声に出したい美の規範であること、美しい文章というのは、荘重さ、リズムともに、日本人に自信と誇りを取り戻させる大切な文化遺産だということ。

 

日本人がいくらお金を儲けても、世界中から羨望、嫉妬はされても尊敬されない。しかし、最も美しい言語の中に生まれてきた真の誇りを取り戻し、美しい文化遺産を継承していくならば、尊敬される、と。

 

私の仕事の大事なひとつとしての「日本語」なのです。

 

追記:世界中のあらゆる場面で活躍してきた先輩達は、この本で証明されるように「エリート」達だ。

彼らの付け焼刃ではない、自然にあふれ出てくる深い教養に裏打ちされた精神の発露がそこかしこにのびのびとして見える。まだまだいくらでも懐から取り出して示すことができるゆとりがある。

 

ここまでたどり着くには若い時分の血の出るような努力と、世界の中での実践で鍛えられた真剣勝負がどのくらいあったことだろう。

 

日本は戦後大和魂と国のリーダーシップを取るべきエリートの養成を捨てた。アメリカによって捨てさせられたというべきではない、進んで捨てたのだ。

 

その結果、全ての人々に教養が備わる機会が薄くなり、これが現在の社会の混乱を招いている。

 

戦後の社会では、「エリート」「上下」に過剰に反応する、お金の力だけに反応する不勉強な人々が大きい声でものをいう。

 

特にテレビの影響があって、「何でも平等」という間違った、無教養が通ってきた。

 

例えば長年の修業を必要とする古典芸能は歓迎されないで、瞬間芸だけが幅を利かせていることを挙げても、「笑いの質」が如何に変わってきたか、わかる。

人権は平等だが、一人ひとり違うことを認めるのが教養だ。

人はこころも身体も鍛えなければ人として育たない。「優しい」という言葉を誤解して受け止めてはならない。そう思う。

 

恵まれた環境や才能に嫉妬ばかりして、引き摺り下ろすようなことをしていては、「エリート」は育たない。

 

次世代を育てることこそが、現代を生きている我々の大きな役目だ。

 

そろそろ「エリート」に対する偏見を捨てて、謙虚に努力した先人の声に耳を傾けないと、日本人は亡国の民になる。 「エリート」にはこれだけの豊かな教養があるのだということを、この本で垣間見ることができる。

戦後生まれの私には彼らの教養に追いつきようもないけれど、希望に燃えて、輝かしい未来を期待している若い人たちを育てることはできる。

 

若者の志(こころざし)を育てなければ。

 

若い人に日本の教養の歴史、日本語の発達(漢文を含めて)の歴史をきちんと教えて、自国を誇れるように育てたい。 この本はそのための教科書として、編纂された。

<エッセイ目次へ>