十句観音経の勧め                           2005.12 安田 倫子

神仏とのご縁
都合のいいときしか神や仏の存在を思い起こさない、勝手な人間の代表のような私ですが、それでも、どうしていざと言う時に神や仏が頭に浮かぶのかと考えてみました。
やはり、自分の生活環境から来るものが大きいでしょう。
何にでも神が宿っていると考え、目には見えなくても人間と神との領域を守ってきた伝統文化の風土で生まれ育ってきたことを感謝しています。
私の父は曹洞宗の大変熱心な信徒です。母は浄土真宗の寺の娘です。両親は朝晩仏壇に向かってお勤めをし、何かにつけて神仏に手を合わせる習慣のある家庭で育ちました。
私は浄土真宗の西本願寺系の大学で学び、卒業後はそのまま非常勤講師として36年間母校で勤めさせていただいております。ですから仏に帰依した本物の仏教徒でなくても、仏様の教えに包まれて暮らしてきたようなものです。

樹々との縁
青春時代を含め、40年を過ごしたこの学院は、敷地が3万6千坪と広いところへ、樹々の成長が好ましく、日々彼らの新鮮な息吹に浸りながらリフレッシュすることができています。
この学院の彼らの存在を思うとき、寝たきりで、自分からなにも意思表示できなくなった人のことを、「植物人間」と呼んでいるのは、植物にも、人にも大変失礼な呼び方だと、以前から強く思っています。
随分前に「ジョニーは戦場へ行った」という映画がありましたが、からだの部分がなくなって、意思表示のできなくなった主人公が、呼吸しているにもかかわらず、長い間死んだも同然の扱いを受けていたのを思い出します。
話せなくなったから、動かないから、と生命(せいめい)を軽んじていいものでしょうか。
樹々は呼吸しています。従って生きているのです。ただ生きているだけではありません、よいエネルギー(氣)を持っています。その力で常に、私たちを生かしてくれており、実際、私は何度も彼らにいのちを吹き込んでもらっているのです。
大学のサテライト教室のみなさんには、ときどき、樹々に氣を貰うツアーを開いています。いつか、チャンスがあったらこの学院の中の、私が太郎、次郎、三郎と名づけている黒松に会いに来ませんか?その他の樹々も、それぞれの個性があるのですよ。

武道との縁
私は同時期に各種武道の稽古を続けていました。
勉強や仕事の後、毎日少ない日で2時間は、日本武道館の武道学園を初め、杖道の錬武館道場、その他で稽古をしました。
そのときには、技を練る工夫をするばかりではなく、いざというときのために身につけておかなければならない武士の嗜みなど、自然に学ぶことができました。
武士のいざというときとは、やはり戦場に臨むときや果し合いに出る前です。そのときのこころの持って行きようによって、生死を分けるといっても過言ではありません。それに武運の尽きたときには切腹の作法も心得ていなければなりません。
生きる覚悟、死ぬ覚悟、いずれの覚悟も持っているべきでした。
いざというときに、氣を丹田におくと、こころが静まるのは武道の嗜みのあるものなら皆、実践していることです。
それでも、こころが揺らぎます。ではそのときどうするか。
私は白隠禅師の教えに従うことが多かったのです。
禅師の教えは私にとって、きっと相性がよかったのです。そうでなければ、禅師の教えがこんなに長い間私の頭の中に残っているわけがありません。

十句観音経とのご縁
私が平常心を取り戻すには、禅師の勧める「十句観音経」を唱えます。
これは白隠禅師が多くの武士に説いて、生死の境にあった彼らが、救いの道に導かれたという、お経であると聞いています。
日本に武士(もののふ)が存在した時代はそんなに遠い昔のことではないのです。
しかし、実際には50〜60年も年月を経たら、戦いの場の体験者は勿論、武士の体験した非日常の刹那を再体感する事を想像することさえ難しいのではないかと考えています。
昨今の日本の世相を見てみると、ものがある程度豊かになった分だけ、古きに学ぶことを忘れてしまった分だけ、人々はこころの閉塞感に苛まれる様になって来ているようです。
そのような時代に生きていて、生活習慣の中に、目に見えないものの存在に手を合わせることを為している人はまだ幸せであると感じます。
なにも一つの宗教や神にこだわることも無く、ただ、自分の心の中だけでは、解決のつかない問題にぶつかって、こころが落ち着かなくなったときには、深く静かに呼吸をして、その次に、先人の為してきたところのものの跡を辿ってみるのも、ひとつの方法だと思うのです。
武士でなくても、違った意味で、いざというときに対面してしまう人は今、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
医者に見離された重篤な病気を抱えている人も。
病気ばかりではありません、さまざまな危機の場面に遭遇している人も、こころを取り戻すひとつの方法として、「十句観音経」を唱えてみてはどうでしょうか。
「赤本」(家庭における実際的看護の秘訣)の中でも勧めているお経です。

南無観音 南無菩薩  與佛有因  與佛有縁  佛法僧縁なむかんおん なむぼさつ   よぶつういん   よぶつうえん  ぶつほうそうえん
常楽我浄じょうらくがじょう 朝念観世音 暮念観世音  念念従心起 ねんねんじしんき  念念不離心

私はこのお経を、渡邉喜久雄(仮名)先生から最初に教わりました。
先生は、この二十年間近く、私の健康を週に一回診てくださっています。
現代医学の最先端の技術を尽くして手術を受けても、次々とガンや膠原病に罹って、武道の修練をして来たものとは思えないほど、こころが揺れていたとき、教えていただいたのです。(十句観音経には、白隠禅師の教えとの出会い、結婚のときに母から持たされていた「赤本」との出会いがあります。)
深く意味を考えてみたことはありません。お経も漢訳の音読みですし、原文とはいえません。しかし、意味がわからず、ただお経を唱えている気になっただけで心が落ち着くからありがたかったです。
修行をしているわけでもなく、単なる「苦しいときの神頼み」なのに、仏に帰依し、真剣に仏の道に進んでいる人には申し訳ないばかりですが、唱える気持ちになるのです。

呼吸法との縁
それに、自分に合った早さで、声に出して唱えると、楽に腹式呼吸ができるというメリットがあります。お経のリズムと声調がゆっくりとからだの中に染み透っていきます。
意識が当然のように丹田に下りてくるのです。すると、結果として氣が落ち着き、こころが軽くなり、肩の力が抜けます。
自分を見つめる気持ちになると、自然に神仏の前に五体を投げ出して額衝(ぬかず)きたくなるのです。
私が、仏教の最高の仏に対する礼法である「五体投地」のスタイルを呼吸法の練習に入る前の礼の形に採用しているのも、このような理由からです。
渡邉喜久雄先生はこれを「真の呼吸」として教えてくださいました。(拙書『呼吸法でガンを克服』2001/4)
呼吸法では稽古の前に、自己の存在が、宇宙の存在の一つとなるように、大地に溶け込む儀式としての意識で行っています。

合掌の勧め
両手を合わせるということは、なにも、一つの宗教の形として定められているのではなく、さまざまな場面で生じてくる、自然な人の姿の現れです。
もちろん、仏教徒の仏に手を合わせる姿。行を行う姿。坐って両手を合掌して指先を自分の」鼻先に置き、黙祷して行う姿。キリスト教徒の神の前に額衝く姿、そのほか、世界共通の合掌の姿があります。それら合掌する姿は大変美しいと感じています。
私はアセアン6カ国の教員の交流を図る会のボランテイアを何度かしたことがありますが、中でもタイの国の人の何かにつけて合掌して会話する姿がすばらしく印象的でした。

合掌は、寝たきりの人でもできます。
両親がデイケアに通っているところ(愛媛県今治市にあるシルビウスケアセンター)のお年寄り達は、私が出会った限りでは、例外なく若い介護士さん達に対して、何をしてもらっても「ありがとう」の言葉と共に、自然に両手を合わせるのです。いつもその姿に接しているせいか、看護、介護に携わっている、若者達は、みな、底抜けに明るく、やさしく、丁寧な応対や言葉遣いをしています。
センターの方々のご努力もさることながら、お遍路さんを受け入れてきている四国という土地柄が人々の姿をそうさせているのかとも思っています。
合掌は大事な挨拶の形です。「こんにちは」「ありがとう」を言葉だけでなく、美しい形として、もっと根付かせたいと思います。

せめてありがとうを
私は昼夜間の高校でも国語と書道を教えていますが、接している生徒の中には出会いから別れまでの数年間、「ありがとう」の言葉を使ったことがないのではないか、と感じる生徒がいます。
彼らと四国のケアセンターのお年寄りとを、つい比較してしまいました。
大げさかもしれませんが、もし、彼らが歳をとって、ケアセンターに行くようになったとしたら、彼らを世話する人たちはいなくなるのではないかと考えてしまったのです。
看護、介護は「ありがとう」を使わない、彼らの次の世代の人にやってもらわなければなりません。「ありがとう」はそのときになって、急に出てくるのでしょうか。
看護、介護職というのは、仕事だからやればいいといった範疇にはいる職種ではない、大変重い仕事です。御礼を言われるために仕事に就くわけではありませんが、ケアされる側が「金を払っているのだから、仕事をやればいいんだ」というような態度で接していれば、「ロボットにでもやってもらえば」という気持ちになって、誰もが離れていっても不思議ではありません。

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