「演じて生きるな !」    2010.4 安田 倫子

最近私が思うことです。

老齢になると、今まで物わかりの良かった人が急に怒りっぽくなったり、癇癪を起して、若い時はあれほど人当たりの良かった人が、家族に辛く当たったりするのを耳にします。

老齢になったから、その人の性格が変わったのでしょうか。

いいえ、性格が変わったのではなくその人の本性が遺憾なく表にあらわれてきた(正体を現した)、と言うだけのことなのです。

若いころ、例えば学生であった頃や、仕事をしていたころは周囲に合わせる「演技」をやり続けていたから、本性がバレなかっただけのことです。

でも近年、若い人の中にこの「演技」をやり続けられないですぐ「キレる」人がいます。演技が下手だからです。

では人はいつでも、老齢になっても演技をやり続けなければならないのでしょうか。

いいえ、演技は舞台の上でするべきものです。日常生活の中では、ごく幼いころから、するべきものではないのです。身につけなくてもいい種類のものです。

大抵の人は、周囲に溶け込みたいがために、演技を覚えて上手く行くと、それを喜んでやり通してしまいます。

これは間違った生き方、日々を送ることになってしまうことなのです。

貴重な人生の日々、時間の浪費です。
というのも演技をして生きている人は自分の魂を磨いてはいないのです。いつも外側に思考が向いています。関心が魂の外側 にあるのです。

深く自己の内面を見つめ、「今、ここに自分が存在していて、本当の自分はこれだ」と胸を張って言えるような時間を練ってはいないのです。積み重ねて初めて本物の自分が出来上がるような魂の磨き方をしていないのです。

人間の大人の魂を持っている人は見えないものにも敬意を払い、敬虔な気持ちで愛に満ちて相手に接することのできる人です 。

自分の求めているものは何か、じっくり考えてみよう。

CMに「欲しい、欲しい、欲しい、あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい・・・・」というのがありますが、それは欲 しがる魂は3歳の子供と同じ。それから何十年たってもちっとも成長していない姿なのです。

あなたは、からだが大人になっても、老齢になっても、魂が3歳の人と、大人同士の話ができますか?魂が3歳のままの大人 と、いっしょに暮らしていくことができますか?

このごろ、CMにやけに子供の声、姿が多く使われていると思いませんか?

大抵の企業は合法的な手段と称して、お金を持っていれば子供でも何でもそのお金を吸い上げることに躍起になります。

世の中全体が、子供のままでお金だけが動いて行く状態で、成熟した社会が育って行くでしょうか。

魂の存在に早く気づくべきです。

魂の成長を妨げるように演じて生きるな、と私は言いたいのです。

人が魂の成長を願って努力する時、歳を重ねるのが楽しくなって来ます。歳を重ねるに従って、魂の輝きが増していくのがわかります。 肉体はだんだん衰えてきますが、それが魂の成長が著しいと時間が過ぎて行くことや日々の暮らしの何気ないひとつひとつにさえ、楽しみを発見することができるのです。

そういうことが分かってくるまで魂の健康さを保って生きていけたら、肉体が衰えてくることなど不安でも何でもなくなりま す。

魂の健康な人のところには、その愛情を降り注いで欲しい、健康を分けて欲しいと、多くの人が自然に慕って集まってくるので、孤独にもなりません。却って応接に忙しいくらいです。

誰しも演じることを止めて(よき社会人として、よき父母として、よき友人として、などなど)自分を見詰め直すことをするのは、今からでも遅くはないと思うのですが。

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