『がんは自分で治せ』を読んだ     2010.8 安田 倫子

『がんは自分で治せ』間瀬健一著1997年刊・海竜社
9年間にわたる白血病からの生還を果たした元サラリーマンの体験記。

私はこの20何年か、自分ががんになってから、部屋一杯になるぐらいの「がんの克服本」「がんに関する本」を読んでいる。

実際に自分もペンネームを使ったが、その時にやはり、がんの克服本を出した。 気持ちの一区切りとして書きたくなったから。

ひとりひとりに自分の病気との向き合い方があって、その人数分だけ、克服した、付き合っている、という体験記が出来る。

それからお医者さんや治療にかかわった方々の本もとても多く、一体どの本が自分にとって参考になるのか、読むのを躊躇するぐらい大量にある。

私は、この本は大いに参考になった。

彼の試みた療法はほとんど私はやってみたことがあるものか、 知っていた。だから、ふむふむと頷ける。

それから、なんといっても彼の「生きる」という強い気持ちが9年間もの闘病生活を経ての生還に繋がったのだと感じる。

何度か私も日記に書いているが、やはり本人の「生きる」という決意。それに対する揺れないこころ。
決めたら実践する勇気。
それらが生死を分けると思う。

奥さん、家族、友人をはじめとして、良いと思われる治療法との出会いも大切だが、それらはみんな「自分の能動的な働き掛けがあって応えてくれるもの」だ。

「いいや、病気の種類、程度によるさ」
「誰でも助かりたいと思う。死にたいと思う人なんかいない」
「苦しい状態が好きな人はいない」
「私だって、治りたい」

などなど、よく聞くが、私は本心からそう思うのか?と疑問に感じる癌との付き合い方をしている人にとても多く出会うのでいつも不思議に思っている。
それらのことを言う人でも心の中では「もしや・・・・」「万一・・・・」「やっぱり・・・・」という不安や疑問などが沸いて来ているのではないか。
沸いて来るようであれば、その方は治らない。

自分の決意が揺らいでいると言うことだし、自分の治癒力を信じていなくて自分以外の「誰か」に依存している部分を持ってしまっていると言うことだから。

というのも、不安や他に対する依存心を増幅させてしまって却って症状を悪化させる人が、知っているだけでも後を絶たないから。

やはりそういった人達は、治りたい、というのはウソだったのだ。
時々はそう思うかもしれないけれど、ず〜っとは思っていないのだ。
油断している。
がんを甘くみているのだと強く思う。

「助けを借りる」ということと「依存する」ということは違う。

自分の生存は自分でしっかりと立って、責任を持つこと。

そうすれば必ず、自分にとっての助かる道が開けてくること。

そうすれば、より強力な助っ人が目の前に現われてくるから生命の世界というものは不思議な世界だということがわかる。

自分に必要な情報は自分で取り寄せる。

必要でないものは退ける。

西洋医学も東洋医学も、気功も、ヒーリングも何でも、偏見を持たず、自分の必要とする時にはちゃんと役に立てる。

このぐらいに臨機応変に立ち回らないと、からだもこころも毎日変化しているのだから追いつかない。

「あの時はこうだったのに・・・・」

といつまでも「こだわっている」人は、人間が瞬間瞬間、生きて動いて変化している存在であることを忘れてしまっている。

昨日こうだったから、明日もこうだろう、などとなめてかかってはいけない。

自分の存在を作り上げるもの。維持していくもの。その責任者は自分自身だ。

そのことを著者は気持ちのいいぐらいにやってのけた。

全く同感。

「病気と向き合うこころ」こそが自分を最も支えてくれる生命作りの土台となる。

だから私も、がんでも膠原病でも頭が少々呆けてきても、こうして元気に生きている。

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