父の手紙                       2006.01.15 安田 倫子

『 大阪駅にて投かん 』
明石より大阪までの車中にてしたヽめる 昨日のなごりつきず忘れものの連続にわれながらおかしくもある 好意多謝 一行五名縣二名上浮六南宇和より一人づつ、それに車中松山市教育課長広瀬元縣議等 農繁期なので車中で立っている人などはない 準急が「せと」で、急行は宇野仕立て東京行「せと」 瀬戸内海は盾フように美しい 東京では縣の宿舎があってそこにおちつく予定 高松屋島など印象的 姫路の白さぎ城が夕日にてりかヾやいていた すま明石の海も凪いでいる。 皆が大きくなるとこのコースで大阪行きもいいなあと思う 農繁期とて朝は超満員となる由  留守中むりなしごとをせずにたのみます。 大阪八時発 そろそろあかりが輝く では又       (昭和27年6月17日)

To my good better half
To you my many kiss!
Oyasumi nasai

『 谷川光雄 』
     大正二年十月十日愛媛県今治市生まれ。
     平成十八年一月五日、同地別名(べつみょう)625の5にて急性心不全のため没。享年九十三歳。
     広島高等師範学校卒。西田幾多郎、和辻哲郎に師事。倫理学専攻。教育功労賞。勲五等瑞宝章。

愛媛県教育委員会を経て三十九歳で大井小学校校長をかわきりに教育委員会、校長職等を歴任。常盤小学校校長で退職。「愛教研」を立ち上げ教員の資質向上、待遇改善などに力を注ぐ。晩年も精力的に初等科教育の重要性を説く。「体感教育」の論文多数。句集二冊。第一句集は「祈慈」と第二は「慈恩」です。

     同六日、生前の本人の希望により、自宅にて密葬。
     「偲ぶ会」の日程は未定。


 

何とも情熱的なlove letterであります。

この手紙の当時、父は三十八歳。「新婚さん」ではありません。
長女典子が二歳半で夭折の後、光有、昌子、倫子、京子と四人の
子供に恵まれ、下の京子が三歳のときに母に宛てた手紙です。
特急も新幹線も家庭に電話もテレビもない時代の手紙です。

両親は引越しの連続であったにも関わらず、大事だと思われる手
紙、子供たちの通知表、図画、工作で賞を貰ったものなど、家族
の歴史をほとんど残らず保存しておりました。
父は八十八歳で二度目の大腸がんの手術の後、自宅での病気療養
が多くなりました。その介護の合間に、姉の昌子が両親の家を片
付けている最中に見つけたもののひとつです。
生前の父が用意してあった墓碑銘は『谷川家の墓』ではありません。『和顔愛語』です。

  倫子記  2006/01/15
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