泣いたババリン                       2006.03.04 安田 倫子

大学院時代以来ずっと数校を掛け持ちしながら、非常勤講師を続けて来た私も、講師歴37年と言えばまあ、あと1年で還暦。自分の子供よりも1世代下の10代の生徒から「ババア」(たいていの場合、前に「鬼」とつくが)と呼ばれて当然の歳であろう。
〜であろう、というのは、自分では〜である、を認めていないから。
このごろ私は電車の窓に映る自分の顔を直視できない。が、私はいたって元気な団塊の世代の人間。まだくたびれ果ててはいない。何にでも挑戦したい、できる、という気持ちはずっと変わっていない。力、一杯よ。と心の中でつぶやいてはみる。
しかし、現役の高校生はその顔をじっと覗き込むようにして、私の心と身体が分離している現実を容赦なく指摘する。
先日、定時制のとき、すてきな銀のペンダントをしていた男子高校生に「いいのをつけてるのね。そのペンダントの先にどんなものを提げているのかよく見せて」というと、すぐさま「いやだよ」といって身を引いた。
「残念。素敵に見えたんだけど」
「先生はもう歳だからそんなの見せたってなんにもならないもん」ときた。
「見せる相手は何歳ならいいの」「僕達と同じ若い娘(こ)になら見せてもいい」だって。
「そうか、私は随分歳が離れてるもんね。ところで一体私は何歳に見えるのよ」というと、彼が「20代、いや30は過ぎてるよな」と真面目な顔をして答えたので、思わず噴出しそうになった。
私の歳を知っている、1学年上級の女子生徒がニヤニヤしながら聞いていて、「先生、30って言われたんだから、(彼の仲間に入れなくても)後のことは許してやりなよ」とウインクした。

私は彼らから、私の名前「倫子」の漢字の音読みで「リンコ」従って、「ババアのリンコ」、つまり「ババリン」と呼ばれて久しい。(本当はTOMOKOだから、ババトモなのだよ)
この間も書道の時間に、私筆で、新聞紙に試し書きに、何でも書いていいと言うと、大きい矢印を私に向かって伸ばし、その下に「バケモノ」続いて「キケン」と書いた女子がいた。彼女がいうには「先生はね、もうただのババアじゃないの、バケモノなの」ということである。
その作品があんまりよくできていたので大事に持ち帰った。愉快。
他の女子の授業の感想に「先生はときどきウチらにイジラレテルのに怒りもしないで、話聞いてくれる」とあった。現役の声の何といきいきしていることか。
私は勤務を通して、伸び伸びと育つ野草たちの成長の一場面に出会えたことに感謝しつつ、「今日も彼らにいい呼吸をさせてみよう。」そう思って毎日教壇に立つ。

2006/1/24(水曜日)朝、昼間の学校の机の上に、鉛筆書きのメモがあったのを見つけた。
「安田先生へ
安田先生、お元気ですか。13年度卒業生で、小論文の授業でお世話になった小○○代です。高校事務室に用があって来ていました。安田先生にひと目お会いしたかったのですが、とても残念です。
実は、昨年教員採用試験を受け、4月から東京の小学校で教師をすることが決まりました。
高校3年生の時、「教師も、構内で清掃している人も(学校に関わっているということでは)同じ立場。教師だけがえらいと思ってはいけませんよ。」と、先生が教えて下さったことを今でも覚えています。
謙虚に、誠実な教師になります。またお会いできる日を楽しみにしています。
乱雑な字ですみません。小○○代」

涙がボトボト メモに落ちてきた。
私は成長した彼女に会ってみたかった。しかし、会えなかったことへの置き土産はあまりにも私にとって大きいものだった。
担任を持ったことも無い、この先、年金も退職金もないことは承知している、37年勤続!非常勤講師の私への、大きな大きなプレゼントだった。

2006/03/04
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