ランドセル                                2006.04.14 安田 倫子

黄色いカバーをつけた、大きなランドセルが歩いているような後姿の男の子が二人、道路沿いに仲良く歩いている。登校途中のようだ。
「ボクねえ、学校へ行くまでは、赤ちゃんて神様が天空から運んで来ると思ってたんだよ。違ってたんだね」
「そうだよ、お母さんがいるじゃないか」落ち着き払ってもうひとりが応えた。
「ただ、神様が関係しているのは本当だよ。神様がお母さんのおなかに赤ちゃんを運んで来るんだよ。だからお母さんがいるんだよ」
「そうだったんだねえ。学校に行くまではこんなこと考えなかったよなあ」
しみじみと理解をしたという大人びた言い方で応えた子は、「学校に行く」というところを、誇らしげに強調した。

《天空》という言葉はアニメやマンガから知ったのか、ただの《空》というよりは、この話題にはふさわしい言葉だと思った。《神様》の存在を信じている様子に二人の生命が輝いて見えた。
そうして、二人の男の子は、誰でもが学び始めたときの、知的興奮に包まれて精神が高揚していた頃の姿そのものであった。彼らは誇りに満ちていた。
彼らの精神は意気軒昂で、学校に上がるまでの日常を、ごく普通に体験してきているということを感じさせる健康さに溢れていた。

教育の手法は無限にある。したがって、自分の僅かな既成概念では手に負えない年少者に対して、決め付けたり、力で抑え込もうとしたりするのは、教育に携わる人がやることではない。特に暴力(言葉を含む)は教育の敗北である。
楽しいことの記憶はそのまま彼らの次世代にまでも、まっすぐに伝えられて行くものだ。
今朝見かけた、全ての彼らのランドセルが窮屈になる前に、学ぶ喜びにこころが満ちているうちに、学ぶ楽しさを何とか体感させてやりたい。
将来の社会を担う子供たちが、こちらの街角にも、そこの道にも元気に顔を覗かせていることに気付かされた朝だった。

2006/04/14
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