都立高校準常勤講師(国語・書道) 安田倫子
1学期最後の授業中任意で提出を求める。生徒にとっては突然の指示にもかかわらず、生徒数22名中感想文提出22名。つまり、全員が提出してくれた。授業は週2時間(50分×2)。(4月〜6月、20時間実施)。2単位。選択授業のため2クラスより成る。以下の感想は提出順。(注:れいしょ)以外は本文のまま。添削していない。
▼ 一年の時は字をたくさん書いて大変だったけど、今は書道が前よりも楽しくできたと思います。あと、前よりも少しうまくかけるようになったと思います。これからも字を書いて今よりもうまく書けるようにしたいです。
▼ 今年の書道の授業は楽しかった。友達と話をしたり、お弁当を食べたりしていた。だから書道の時間はすきだった。
ペン字が難しかった。とてもとっても難しかった。線がくねくね曲がってしまうのがどうしても直せない。どうしたらいいんだ・・・。2学期のペン字はもっと上手に書きたい。
毛筆は、1年のときもやったから、ペン字よりはうまく書けた。でも自分の字は下手だなあと思った。まわりの人上手すぎ・・・。もっと習字が上手になりたい。
だから二学期はもっと「まじめにやろうかな」と思うけど、お弁当や会話の誘惑には勝てないだろう。
▼ この書道がある、金曜日の三・四時間目、とても好きでした。一年の時より、自由に書けたので良かったです。書道の面白さを改めて知りました。今年の正月は、「書き初め」をやりたいと思いました。二学期も休まず楽しくやっていきたいです。
▼ 先生楽しい。お手本が無いと難しい。ペン習字は手が疲れる。隷書って何て読むの?(注:れいしょ)これからも頑張ろう。
▼ 以前の授業に比べて楽だったが、書道の楽しさと言うものを教えてくれてとても感謝しています。
僕は前からずっと下手、下手といわれてきたが、先生に「ちゃんと気持ちがこもっていい」といわれて、さぼりがちの書道だったけど毎時間楽しく字を書けてうれしかったし、ありがとうございます。
これからは気持ちをこめて書く。字をよりうまくなるように練習し、ちゃんとお手本を写すってことを頑張っていきたいと思います。
▼ 1学期の書道の時間は短期集中型の感じで書けるのが多くて非常に良かった。
ただ。時間があまるのでもう少し多くてもいいと思った。課題が終わったら自由にできるので色々してしまったこともあったけどこれからは練習する字を多く書いたりして時間を有意義に使いたいと思った。
一番最初めの「楽しくなければ〜」のヤツは写すのは簡単だったけど自分で考えて書くのはむずかしかった。アイデアが浮かばないというか浮かべることができなかったから自分はうまくいかなかった。
3回目の「ペン習字」は、まあペンで・・・習字は難しいからって思いながらやった結果、案の定うまくいかなかった。
4回目の「永」は写すだけなのでうまくいった。
5回目の「平成」は良くわからない書体だったのでむずかしかった。
6回目の「旅立ち〜」のヤツは写すだけなのでよかった。
今回を通して思ったことは、写すだけならうまく書けるということと、アイデアを出せなきゃならないヤツは基本的に無理ということがわかった。
▼ 安田の授業はとても素晴らしかった。隣人と話してもよかったし、弁当を食べても良かったのでとてもやりやすかった。でも、さすがにこれからは弁当を食べるのは控えようと思う。
授業の内容は上手く書けたものもあったが、下手なものがほとんどで、もっと向上しようと思う。
次の学期からはもっとよいものを書きたいと思う。
▼ 創作で、自分でテーマを考えるのが一番苦労した。
先生の授業は直しながらポイントを言ってくれるのでとてもやりやすかった。
行書のほうが、自分的には書きやすかったと思う。
ペン字もやりたかったので、やれてよかった。
創作は、自分の思ったことを自由に書き表せてなくて、次は表現を自由にあらわせるように、したいと思っている。
私のほかのみんなも、これは良いなと思うものもたくさんあった。
字がたまにゆがんでしまうので気をつけたい。
2学期の目標は、臨書の時はお手本をよく見て、創作の時は、自分らしさを出せるように頑張りたい。
楷書もうまくなるようにしたい。
ペン習字でも、ゆがまずきれいに書けるように心がけたい。
先生の楽しい授業、期待してます。
▼二年に入って書道の先生が変わり、授業も変わったので最初はカンタンな授業だなと思ったけど、量の割りに先生のチェックが厳しくて、何度もやり直しをさせられるので少しずつ字が上手くなった気がします。
二年に入って初めてペン習字をやったけど元から字はうまくないので、これは普通の習字より大変だったし、苦労しました。
これからもっと練習して字が上手くなるようにがんばりたいです
▼ 安田先生の授業にはペン習字がありました。
初めて体験する授業だったので、楽しめましたし、自分の字を見つめなおすこと、文字を書くことが上達したと思います。ですが、ペン習字は、とても難しいものでした。一文字のバランスや、文字と文字の空間、行が曲がらないようにすること、お手本を真似すること。
だんだんと練習しているうちに、文字を書くということの楽しさ、難しさ、文字の深さを学びました。
私は楷書より行書の方がのびのびと書け、好きです。
先生が出してくれる課題は、おもしろみがあって、授業を受けていても、時間を忘れるほどでした。
これからも色々な文字を書いていきたいです。
▼ 先生の授業は、本当に面白くて、毎週楽しみでした。一年の時は、なかなか書道の楽しさに気付くことができなかったけど、二年になって書くことの楽しさに少し気付くことができました。
集中できなくて、上手くできない時もあったけど何よりも得られたのは、書くことが楽しいという気持ちです。書道だけでなく、いろんな意味で成長できたと思います。これからも頑張りたい。
▼ 一学期楽しく授業ができて良かったです。
安田先生は声も個性的でしゃべり方も面白くて、皆の心を引き付けていたと思います。
二年では創作もあり、自分の好きなように字がかけて良かったです。でも、思っていたよりも難しくて臨書の方が書きやすかった事に気付きました。
ペン習字は初めてで、とても大変でした。比較的「字が上手ね。」と言われるのですが、こうやって真面目に書いてみると上手に書けなくて、悲しくなりました。
二学期は、もっと一つ一つの作品を大切に作って行きたいと思います。
二学期もよろしくおねがいします。
▼ 以前の僕にとって書道はとても苦手なものでした。理由は自分の字が上手いと思わないし、書くのもそんなに好きじゃなかったからです。
しかし、今学期の授業で重要なことを学びました。書道は「色々なアイデア」が必要だと。ただ手本を写そうと考えるのではなく、その手本を色々な視点から見て、自分風に書くことで美しく見えることはだんだん書いていくうちに感じてきました。
最初に書いた「楽しまずして何の人生ぞや」という文字。一番苦戦した作品でした。僕にとってこの文章は心に響くものでした。
そんな文章をこの半紙一枚で表現することがとても難しかった。けれど自分の知恵を絞って自分風に書いてみました。表現しきれているか分からないけど、半紙一枚で何かを伝えられるような作品を書けるように努めたい。
▼ この書道の時間は話をしたり、弁当を食べてもOKなどとても気が楽でよかったと思う。
ペン習字は好きでなくないけれど、毛筆の方が好きだからなるべく毛筆を多くやってほしかった。
自分で字を選んで書くのはとてもよかったし、すごく楽しかった。
二学期はもう少し真面目にやろうとは思います。
本当にやるかはわからないけれど・・・(笑)
▼ 一年の頃と授業の雰囲気が全く違うので、まだまだとまどいを感じます。でも、一年の頃と違った中で、いろいろなことを気付くことができました。
今まではきれいに書くことだけを考えていたけれど、創造力を生かした作品が書けたりと新しいことにもチャレンジできました。
自分の技術、また創造力、発想力を高めていくためにこれからも頑張ります。
▼ 初めは、安田先生の授業にあまり慣れなく昨年教えてもらった先生のほうがよかったなあ〜と思いあまり授業に集中できませんでした。
しかし、授業を進んでいくうちに安田先生の授業も楽しくなってしっかり集中もできるようになり、頑張って取り組んでいます。
2学期は、1学期よりもっと上手に書けるようにがんばっていきたいです。
▼ 1年の時に比べて、書道が上手になった気がする。短期集中で授業をやっているから、集中力が切れないで書くことができた。
1年の頃は書道が嫌いだったけど、先生の授業はとても楽しく書道が好きになった。
授業の内容は、自分で創作したりペン習字などがあって楽しくできた。
▼ 安田先生の授業はとても気楽な気持ちでやれてとても楽しいです。理由としては、
少ししゃべっていても先生は怒らないし、真面目にやって提出すれば変な字の所を的確に分かりやすく教えてくれるからです。今後も同じように授業をしてほしいです。
自分の反省点としては、ペン習字が上手く書けないので、2学期は頑張りたいと思います。
毛筆は採点を見ると、丸が結構多くあるので2学期はさらに丸をもらえるように頑張りたいと思います。
▼ 安田先生の授業は、先生のお話が面白くて、今では、2時間続きの書道の時間が苦ではなくなりました。そして、毎回楽しく書道の授業を受けて自分でも1年生の時より上手になったかもしれないと思うようになりました。
▼ 授業をふり返ってまず思ったことは、書道の授業が自分で思っていたよりも楽しく気楽にできました。しかも、前よりも字が上手く書けるようになったし一石二鳥です。先生の指導もゆっくりで分かりやすく、とても良かったです。
そして何より良かったのは、僕は字が汚くて良い所とか全然ないと思ったけど、先生がすごく小さな所だけど良い所を見つけてくれた所です。それで僕は自分にもうまい所があるんだと分かって本当に嬉しかったです。
でもやっぱり字はまだまだだから、今後の授業に熱心に取り組んで、もっと字が綺麗に書けるように頑張っていきたいです。 2学期からは、楽しむだけではなく、字の大きさやバランスなどに気をつけて、2学期、3学期と、どんどん書道が上手になるように頑張っていきたいと思います。
▼ 書道の授業はノルマさえやれば、後は自由なのでとてもやりやすかった。また、授業が早く終わりとても楽でした。
書道は字が早く綺麗になれば良いなと思って始めたのですが、あまり効果が無くて残念だった。しかし、授業でペンのこともやるようになったので、少しはましになれば良いなと思いました。
▼ 筆よりもペンの方が面白かったです。もっとペンの割合を増やして欲しいと思いました。また、今まであまり授業に身が入っていなかったと思いましたので、なるべく集中していこうと思いました。
この感想文を読んでいると、教師のコメントなどは何も必要ないと思えてくるほど生徒の感受性の素晴らしさに感動した。
現役の高校二年生の何といきいきとした、声々か。
彼らは太陽に向かって、すくすくと伸びる野草だ。教師冥利に尽きる生徒たちだ。ありがとう。
朝から暗いニュースが渦巻いている、昨今のゆがんだ世相に揉まれるという厳しい状況の中でも、彼ら若者の精神はちっとも毒されていない。病んでいない。バランスよく健全さを保っている。
教師としては絶対大切にしたい。
たとえば、数人の生徒は、何とかして教師の目をかすめて早弁をしてクラブ活動などに飛んでいきたいという、魂胆がみえみえで、またたく間に、飲み込むようにして弁当をかき込む。私が他の生徒の作品を添削している、ほんのわずかな間に。しかし、作品制作のノルマは果たしている器用さだ。(この学校のいいところは、広い運動場を野球部やサッカー部が独り占めしている、というのではなく、どの部も溌剌と活動しているというところだ)
私も授業中の早弁を認めているわけではない。彼らも、おおっぴらに弁当を広げるほど、常識がないわけではない。ここが指導の意味のあるところだ。
もし、彼らのうちの一人でも、図々しく弁当を広げるしぐさをしたら、私はたちどころに弁当を取り上げ、厳しく叱るだろう。それが教師の務めである。他クラスではあるが、現に規則違反を平然とやってのける生徒に対しては、毅然とした態度で、規則違反はどのような償いをしなければならないかを説き、直ちに対処している。
しかし、今ここの彼らが残す証拠は弁当の「匂い」だけなのである。
ほとんどの時間、次々と私は添削している。継続しては顔を上げていない。彼らは私の動きをよく観察している。私は目の前の生徒とその作品を添削しながら、早弁を狙っている数人の気配を察している。
私はこの勝負を楽しむ。
今のところ、彼らは勝利に酔っている。
さて、いくらパソコンや携帯が普及した時代だといっても、やはり、日本の伝統文化の中でも、是非伝えていきたい民族の誇りである財産のひとつが「書道」である。
書くことの意義、文字の美しさ、表現する事の喜びを知ったなら、誰でも書道学習の楽しさを体験できるのだ。落書きから始まってもいい。真似ることからはじめてもいい。何からとりかかってもいい。とにかく、毛筆、ボールペン、マーカーなど、用いる用具が違っても、思う通りに線が引ける喜びを体験することがまず大切だ。
体験から若者は育っていく。
まだ柔らかい頭脳には、理屈よりも体験、感動、という実践が必要だ。
教育の専門家である教師がまずできることは「やってみろ」と身をもって指導できることだ。
頭脳はしっかりものなので、自分が行った労力に対しては元を取ろうとする。手を動かして文字を書けば手が疲れる。その分だけ記憶するのだ。楽して読んだだけよりも、腕を動かしたほうを記憶に残す。
従って、「書く」と言う動作は、「学ぶ」ためには是非とも必要な動作なのだということをまず理解させることだ。
とても残念な事に、小、中、高の書道の時間が学習指導要領から削られ続けて久しい。その間、若者はどうなってきただろうか。わが国の教育機関は次世代の教育について、なんと無責任なことであろうか。他を語らなくても、書道教育の現状を見れば知れるのだ。
学問的にも、ソシュール(フランスの言語学者)の「文字は記号だ」と言う説、言葉は、文字は、ただ通じればよいという風潮が20世紀は世界の言語学を席捲したが、私はそれは間違っていると考えている。
わが国では表意文字の漢字が活かされているし、「漢字仮名交じり」という表記でどれほどたくさんの精神世界を広げることができたか、改めて感謝してみる必要があるのではないか。
日本が世界に誇れる文化がここにもあるではないか。
この大いなる文字文化を継承し、正しく伝えないで、教育の目的がきちんと果たされるだろうか。
よく考えるためにはよく動かなくてはならないことを、今後共、もっと若者に教えていきたい。
芸術書道U:教科書 教育図書 書道U、副教材 教育出版 芸術書道T・U、大阪書籍 中学書写、高校書道T・U、日本書道協会 ペン習字教本など。安田オリジナルお手本、プリントなどはタイムリーな教材を心がける。
1年で学習したことを踏まえて、より高度な書の美に触れさせ、表現の楽しさを体感し、芸術作品の鑑賞法をつかめるようにする。
▼ 書道の学習が楽しいことを体験、体感させる。
▼ 生徒ひとりひとりの学習レベルを早く知り、それに合わせて個別指導をこころがける。
▼ 生徒の学習意欲を見逃さない。
▼ 表現法も観賞法も、新しい発見がどんなに大切で楽しいものなのかということを、指導する。
▼ 目標達成のための準備の大切さ、また、用具を整えたり、使用したものの後始末を自分で行う意味をその都度、その場で指導する。
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用具の忘れ物について自分の使用する用具は原則として自分で用意する。忘れ物は有り得ることとして捉え、叱るよりも、次回に忘れないよう注意し、書道の用具は学校の備え付けの(使い古したものだが)ものを貸し出す。特に、筆はきちんと洗って返すときに、私のてのひらに触って、手が汚れないようになっていれば、返却できる。まだ墨が筆に残っているものは洗い直しさせる。
▼ 古新聞の活用について 練習は半紙に書く前に古新聞に書かせる。ある程度、書けるようになってきたら、半紙を使う。新聞に書くことに慣れて、新聞に書いた作品のほうが出来ばえが良かった場合は新聞も提出させる。古新聞は職員室、事務室などで処分すると決まったものを、譲り受けている。生徒にも持って来させる。
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成績評価について中間、期末考査のない科目なので、作品提出、授業時の取り組み方が成績になることを、その都度説明して、作品は学期ごとにまとめて綴じ、評価に疑問が残らないよう、本人の質問に答えられるよう、前学期までの作品は返却しない。生徒は1枚1枚に評価がついている自分の作品を目の前にすると、評価がフェアであることが納得できる。
▼ 優れた作品と認められるものについては、校内廊下、食堂など大勢の目に触れるところに貼って、見る人の目を楽しませるだけではなく、書道を選択していない生徒の学習刺激にも励みにもなるようにする。また、都主催の文化祭など学校外での参加もこころがける。
▼ 作品提出について 授業に欠席したため課題が出来ていない生徒、時間をかけて作品に取り組みたい、もっと書きたいという生徒に対しては、原則として1学期中に、授業内で補っていけば作品数の内として認める。また、家庭で学習、練習してきた作品については、努力の成果として認めることにしている。本人直筆かどうかは日頃、その生徒の作品に接しているので見分けることができるので、代筆の心配はしていない。
▼ お手本を下敷きにして写すことも練習の一段階として認めている。字形を掴むには、見て書くだけでなく写すことも一つの方法だからである。勿論、写しただけのものは清書作品としての提出は認めていない。
▼ 折にふれて、文房四宝(筆、紙、墨、硯)の解説、書や字体の成り立ち、歴史、変遷、文化など書道芸術の基礎知識を解説していくことにより、書道学習の意義を知り、興味を深めるよう指導する。
▼ 生活の中の書の美に気付かせ、現在開催されている展覧会への案内をするなど、実際に書が活用されていることを認識させることにより、書への親しみが持てるように指導する。生徒がそういった情報を教室でみんなに教えてくれた場合は、率先してその関心の深さを褒める。
▼ 生徒に自作の短歌、俳句などを作らせ、好みの形(ペン、筆、自作の筆、工夫した材料)で表現できるように指導する。
▼ 作品の題材、書く季節(四季)、用途(慶弔、挨拶、感謝など)、材料(半紙、画仙紙、色紙、短冊、ハガキ、手紙、扇子、団扇、コップ、プレート)など自分の着眼点を活かして、どのような美が表現できるか、指導する。
▼ 書の美の表現、鑑賞は無限であって楽しい世界だということを体感させる。
授業の年間計画に基づいて4〜6月における授業の実践報告を試みた。
まだ、1学期という、少ない授業期間ではあるが、年間指導項目として掲げた内容は順調に達成できているとみている。
ただ、生徒の学習に取り組む姿勢に重点を置いているので、各自の学校でのマナー、躾に関する部分は今後も指導の余地がある。2学期以降も留意して努めていきたい。
たとえば、生徒の原稿に手を入れずに報告書としてあえて出したことに注目してみよう。
「安田」と担当教師を呼び捨てにしたまま、感想を書いたり、3,4時間目の休み時間に「早弁(はやべん)」をしたり、生徒自身、いけないことと知りつつ、「これからはやめていこう」という気持ちが芽生えていて、そのタイミングを見ているところで、1学期の終わりになってしまった。
そこでどうか、読まれる方は教師の指導不足と思われる前に、「まだ指導途中」と、大目にに見ていただきたい。
手っ取り早く教師の一声で簡単に収まるかのようなやり方を私はしない。
「本当の気づき」が生徒自身の内部に起こって、初めて教育成果となって外に現れるので、今は教師と生徒の信頼関係づくりの時期であると、受け止めてもらいたい。
教師が手直ししたレポートには意味がないといつも考えている。
生徒の生きた声を今後の授業に反映したくてこのレポートとなった。
目を通していただいて感謝します。
2007/07/09 担当 安田倫子