引き寄せの法則     2007.12 安田 倫子

2007年12月、気功仲間Kさんの薦めで『The Secret ザ・シークレット(ロンダ・バーン著。山川紘矢・亜希子・佐野美代子訳2007/10初版、11月再版・角川書店)』を読んだ。

Kさんは、常々「良いことを考えると良いことがやってくる」と仰っており、「この本は自分の感じていたことと全く同じ内容だった」と、熱く語り私に紹介してくれた。まず深く感謝を申しあげたい。さっそく読んでみることにした。
この本には幸せになる「キーワード=言葉」を手にした成功者(主にアメリカ人)達のメッセージが多数収録されている。オビ書きによれば、既に世界中の人々を魅了して、もう860万部も売れているそうだ。

私も、山川夫妻訳の本やCDは既に何冊(枚)か持っている。ワイズ博士の『過去世療法』『未来世療法』など、亜希子さんの知的で優しい声の導きには大いに癒されたものだ。
ところが面倒なことに、私には「衝撃的な一言」が心に染みて来るまでに、受け入れる準備が、なにがしか必要なのだ。それは物語であったり、時代の空気を映していたり、人物、歴史、ありとあらゆる世界の中で縦横無尽に活躍する、活き活きとした「言葉」から発せられるものでなければならないと思っている。結局、最も私の知りたかったキーワードに行き当たるまで、最初の3分の1ほどは、理解するのに数日の努力を要した。

 

もっとも、わかりにくい、わかりにくいと思って読みつつ大いに納得したところがある。

【「私は〜である(I am〜)」というフレーズをしっかり頭の中に置くこと】、という一文を目にしたとき、「あっ!」と声を上げそうになった。以下はそれについて述べたい。

 

その一文は、「アセンションマニュアル(上、下2巻・2000/11初版、2006/4第2刷・ナチュラルスピリット)」。その上巻98頁に「魂のマントラ」として紹介されていたものだ。
「魂のマントラ」はまさに、「私は〜である」と確信をもって自分に宣言することを教えてくれた。そのため、「I am〜」の数行はすぐに私の魂になじんできた。

これを唱えることによって、やっと自分を取り戻せたような、いい気分になれた。

私の魂に平和が戻ってきたといったら言い過ぎだろうか。

私は常々、折りに触れて「魂のマントラ」を心地よく唱えている。そうすると、大地や空気や太陽や星や月や、自分を取り巻く自然との違和感が薄らぎ、今ここに存在していることの実感が湧いてきて、何ともいい氣分になれるからだ。颯爽としてここに存在している、私の勇姿が浮かんでも来る。「魂のマントラ」は、私に誇りと自信と責任感を呼び戻してくれた。
私に瞑想を指導してくださっているA先生も、この「魂のマントラ」を英語で教えてくださった。英語のほうがキッパリした言い方で声にはしやすいと思う。

 

ところで、「魂のマントラ」に出会うまで、私は「私は〜である」と思う事、言い切ること、信じることは全て罪悪に等しいと多くの人から教わってきた過去がある。その過去は、私にとって最大の苦痛であり、いつも何かがおかしいと感じていて、充分に毎日を生ききっている気持ちがしなかった。
 

随分長い間、私はみんなの間を上手く取り繕って、なんとなく摩擦を起こさないように注意を配っていたので、私の生命力はそちらの方に神経を使う事でいつも不完全燃焼であり、疲れきっていた。
子どものころから、何かやろうとしたとき、何かしたとき、必ずと言っていいほど私の家族以外の人から「生意気!」(大抵はその後に「女」という単語が付いたが)という非難を浴びて、やむを得ず自分の行動、意見を引っ込めなければならなかったことが多かったことによる。

「生意気」の意味は経験上、「お前にはそれを成す力がないのに、実力に相応しくない行動を取り、考えを口にしている。出すぎた真似をするな、引っ込んでいろ」の意味に相違ない。
私は絶えず、「自分には考える力も、行動する資格もないのか」と自由に振舞えないもどかしさを感じると共に、自分にがっかりし続けていた。

例えば、低学年の学校の勉強においても、もう、自分には覚えてしまったことばかりなので退屈であったとき、次のページを知りたいと思って、教師に質問すると、教師は困った顔をして、「今やっているところをしっかり学習しなさい」と繰り返した。

 

今から考えると、「何てばかな」と思う。しかし、当時の私は、幾分かは「あれ?おかしいな」と思うところはあっても、「人に合わせていたほうが、波風が立たないで楽でいいや」と思うところの方が大きく、その場だけの居心地の良さを優先してしまった。つまり、自分で考えるな、自分を出すなと自分で自分を押さえて(殺して)しまったのだ。完璧な自粛態勢を自分で率先して作り上げてしまったのだ。

これが習慣となって、一事が万事の私の生きる姿勢として確立してしまったので、そんな私に将来自分がなりたい姿など、浮かんでくる由もなかった。元々、知識欲が強く、知らないことを学ぶということが好きで、好きでたまらなかった。確かに、努力をしなくても学校の成績は相変わらず良かったが、将来の展望がないために知識は活かす術を知らなかった。
肝心の、今を生きているという情熱も、生きること自身を書物に問いかける情熱も、早いうちに失われてしまった。本ばかり読んでも熱中はしなかった。読んでいる間だけ楽しかったが、本から学ぶことを止めていた。本の中や空想の世界での活き活きとした自分を包み隠して登校した。

結果、幼い頃あれほどおしゃべりだったのに、小、中、高、と進む内に、特に高校時代は無口で下を向いてしか歩かなかったので、首に深い輪のような皺を作り、「月の輪ちゃん」というニックネームをつけられていた。

 

唯一の救いが家族である。
両親は教育者だった。父は倫理学者(注1)、平成18年正月5日、満92歳で亡くなる直前まで、朝夕の神仏へのお勤めを欠かさなかった。しかも、介護の人に合掌し「有難う」と「貴女美人ね(悪意はない)」しか言わなかったので、みなこぞって介護してくれた。

平成20年3月で91歳の母は、お寺の娘でピアノ教師でもあり、常に音楽と共にあった。日常から「無財の七施(注2)」を実践している人だ。

二人は貧しいながらも楽しい暮らしを心がけていて、子ども達には高潔な人間として生きるよう教育をしてくれた。今でもとても感謝している。家庭内では自由であった。
しかし、私はあまりにも、「女の子らしく〜」ということを押し付けられたことがなかったので、肉体としての自分の成長に関する興味は皆無に等しかった。それで、中学1年のとき、「生理がいきなりやって来て」死ぬかと思って泣いた。そういう笑えない話もある。

 

話がずれてしまったが、今なぜこのような、生きる意味も問わない致命的なマイナス思考の自分の過去を振り返ったかというと、それは『ザ・シークレット』を介して『引き寄せの法則』に出会ったからだ。

『引き寄せの法則』(SoftBank Creative)(公式サイトは面白く拝見しています)副題に「エイブラハムとの対話」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著吉田利子訳。2007/10初版)。チャネラーのエスターを媒介にして、宇宙のエネルギーの複合体であるエイブラハムがジェリーの質問に答えていくという体裁をとっているので、質疑応答をセットとして読める。毎日、思い付きでページをめくって「今日のお答え」などという感じで読んでみるものいいのだろう。ジェリーも思いつきで質問しているようなものだとも受け取れる。チャネリングやスピリチュアルな世界には縁がなかった人でも、これを読めば今から毎日3分でも15分でも瞑想をしてみようかという気になるだろうし、紹介されている173項目もの質問には、自分のしたかった質問が含まれている人も多いのではないだろうか。

 

その中でも、私には、『引き寄せの法則』がすんなりと頭に入ってきた。そして即、実践しない手はない。だって望みさえすればその通りになれるらしいのだから。

『引き寄せの法則』は、究極の『現世療法』である。『今すぐ手に入るもの』なのだ。すぐその気になる私は、実践してすぐ「生意気」と言われることを恐れないと、いとも簡単に決心する事ができた。昔のマイナスの思い出も、まざまざと思い出したが、それも今日までだと思え、ついに過去との決別が出来たのである。
内なる声が、「ああ、60年かかったか。遅すぎたのではないのか?」と一瞬聞こえたが、いやいや「新しいことを求めて行動していくことが大好きだ」と、置き換えることが出来た。今は、そうすることが私の幸せを招くと、正直な気持ちで言える。
これまでの私は、自分の意見を表明するのに、一体誰に遠慮をしていたのだろうか。遠慮の対象は何だったのだろうか。などと、そんな妄執も、今となっては意味がない。もう、どうでもいいことだ。
気付いてよかった。「気付き」こそが、すべてを進歩させてくれる。これからは、もっともっと、楽しいこと、幸せな気分になれることに「気付いて」行こう。

 

平成19年(2007年)は私にとっては出会いの年でもあり、以前から取り組みたかった勉強に明け暮れた一年だった。
好きだった長年の学習経験を通して、今までの内面に培ってきた切れ切れの知識が、単なる知識として留まるだけではなく、縦と横の糸となって、素晴らしい私という織物を織り上げようとしていることを実感している。その織物は愛に満ちた、輝く錦の織物なのだ。
人々に幸せを包んで運び、幸せの幕となって広がっていくに違いない、変幻自在のエネルギーの織物だ。私はその織物に、今まさに手が届いたと感じ始めている。

一年を振り返って、そんなことを思い始めたときに『引き寄せの法則』に出会ったことは、この上なく嬉しいことだ。これも「縁」なのだろうか。

 

これからは毎日、生きていることを楽しむばかりだ。

生活に何の心配もなく、心穏やかに日々を送る。いいなあ〜。気持ちいいなあ〜。

生きていることは有難いことだと感謝の気持ちをしみじみ味わって暮らす。学んできたことを活用して、今までよりももっと、健康で快適な気分で日を過ごし、天寿を全うする。健康で、幸せなエネルギーの渦をもっと引き寄せて、笑って暮らす。「いっしょにいるだけでも元気が出てくる」、と今でも言われているが、ずっとそうであり続ける。健康や加齢を気にする人には、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』ではないけれど「心配シナクテイイ」と言ってあげる。足の悪い人にも、遠くの人でも、参加しやすいように交通に便利な都心に私のワークショップの場、呼吸法の教室を用意して、そこで多くの人に私の呼吸法を楽しんでもらう。「しっかり生きて、ちゃんと死んでいこう」とみんなに呼びかける。死や病気を恐れるのではなく、それときちんと向き合うことの大切さを説いていく。活動精神が活発で、死の数日前まで楽しく語り合い、別れの挨拶をしてから死んでいく。


そう強く願っている。そして、これから叶えていくのだ。


(注1) 最晩年の句集『慈恩』、『祈慈』がある。
(注2) 「無財の七施」仏教用語 @優しい目 A笑顔 Bいたわりの言葉  C人のために身体を使う D慈悲心  E席を譲る  F宿を提供する

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