◆ 杭州西湖雨の朝 ◆
遙杭州の宴----------
2007/04/30 昨夜の自由集合の宴では、三々五々10人ほどが集まり、話が尽きなかった。この会を企画してくれたKさんのお陰である。
明朝5時に湖畔で任意に気功をやろうという事になって12時ごろ解散した。
その会の部屋を提供してくれたもう一人のKさんは、私の強張る(こわばる)指の痛み解消鍛錬法を教えてくれ、とても強いパワーの玉(ぎょく)を触らせてくれ、故劉漢文先生の声明真言(しょうみょうマントラ)も聴かせてくれた。またOさんのヒーリングを受けたり、身体を浄化する入浴方法を教わったり、(その夜部屋に帰ってから実践した。ゆったりとした気持ちを取り戻せてよかった)W先生の黄山での不思議体験(霞が湧きあがって雲となって登ってくるその外側に黄色い雲が広がるのを見た。)を伺うなどして楽しく過ごした。私はウエルカムフルーツのマンゴースチンの食べ方を披露したり、(蜜柑大の赤紫のそれは一見皮が堅く、包丁でも使うかという氣になるのだが、コツを覚えて指で二つに裂けば容易く割ることが出来る)自分の病気体験の一部を話したりした。
杭州西湖雨の朝----------
杭州最後の朝は雨だった。
雨に煙る西湖は、李(Li)ガイドさんの説明によれば「薄化粧の美人」に例えられるそうだ。(晴れのときは濃い化粧の美人だそうな)早朝のこととて寒かった。昨夜のメンバーは誰も出て来ず、独りでホテル前の西湖に面した道路脇の廂(ひさし)の下で気功をした。
ここからタクシーを呼んで10数分も有れば1974年6月に私が泊まった毛沢東の迎賓館(今では国賓館と呼ばれている)に行って来られるのはわかっていた。懐かしくもあり、外観だけでも行って見てみたい気持ちに変わりはなかったが、今回は目的の違うツアーの一員としてこの地に来ていることも承知している。勿論、今を大切にした。
6時頃になると雨中でも近所に住んでいると思われる老人達が出て来て、遠く、近くの廂の下でそれぞれのスタイルで気功をしている。笑顔と「ニイハオ」の挨拶だけして私もマイペースで気功を続けた。
6時10分頃、湖の右側から、傘も差さず全身ずぶ濡れになった大男が雨の飛沫(しぶき)を上げながら私を目指して走ってきたのが見えた。
朱剛(Zh
u g ang)先生だった。
あまりの濡れように目を見張っている私の前に立つなり、「川に落ちちゃったぁ」日本語でそれだけ言うと彼は中国語で、暗いうちの4時前に起きて周囲15キロと聞いていた湖を走ってきたこと、雨で水かさが増して、道路は水浸しになっていて、石があるとみて足を踏み込んだらそれが無くて、川に落ちてしまったこと、自身の鍛錬としてどうしても西湖一周をしておきたかったこと、などを小さい子供が姉や母に訴えるように一気に喋った。
早くお風呂に入って体を温めてください。集合までにはまだ時間がたくさんありますから、というようなことを家族のような言いかたで返答しながら、私は笑ってしまった。
禅密気功入門----------
雨の中をホテルに向かってまた勢いよく飛び出していった朱剛先生の後姿を目で追いながら、私は何とも言えず幸福な気持ちになっていた。
二十歳近く私より若いその彼を自分で《私の師》として選んだことに十分満足していた。
インターネットで「禅密気功」のHPを見て入門してから日が浅いが、(HPの先生の動画はTさんが作ったと聞いた。同じようなHPは他にもあるが、私には編集姿勢とこの動画がよかった)武道の修練を長年重ねてきた私にはわかる。
間違いなく彼は心身共に気力に満ちている。いつも真摯で誠実な態度で全てに臨んでいる。柔軟な筋力から外に溢れてくるものは《善》の氣そのものだ。長い間よく鍛えられてきた生命の健全な発露が彼にはある。
教室の中だけが教師の仕事をする場所ではない。身をもって生き方を示すこと。これが教師の役割だ。彼に脱帽した。
※「禅密気功」ページに相互リンクさせて頂きました
名コンビ----------
旅行開始以来、朝から晩まで奥さんの葉楓(Ye
f eng)さん、先生の舎姉の江麗華(Ji an li hua)先生と共に素晴らしい連携プレーで旅を運営している様子は自然とよく伝わってきていた。
黄山に入ってから、興奮のあまり、すっかり頭の中が中国モードになってしまって日本語が怪しくなってきた朱剛先生を補佐して、立派な日本語で通訳してくれた奥さんの葉楓さんは、ここ数日で日本語が数段上手くなった。責任感の為せる技だろう。
江麗華先生は次々と代わる状況によく対処して、先々に携帯で連絡を確認し、旅程に支障のないよう、配慮に怠りなかった。(携帯って本当、便利ねえ)また移動時間のバスに乗っている間も、少しの時間でも「地蔵経」を読誦し、修行に勤めている姿が美しかった。
旅の道連れ----------
今回は19人の病気を抱えた人と高齢者(メンバーのみなさん、失礼な言い方でごめんなさい)を率いて黄山(中国五霊峰のひとつ)に登ったのだ。
黄山の中の天都峰(天都峰に登らなければ黄山に登ったとは言えないと昔から言われている険しい峰。1860m)も希望者と踏破してきた。それは朱剛先生の長年の夢の実現でもあったわけだ。
朱剛先生の外気功----------
少々の時間のずれは致し方なかろう。暗くなりかけて山頂のホテルに辿り着いたとき、私たちの食事は最終グループで7時40分からだった。空腹のままで待つ間の1時間を瞑想にあて、朱剛先生はメンバーひとりひとりに何度も外気を送ってくれ、足の痛い人には特に念入りに手当てをしてくださった。私は3度全身が熱い氣に包まれ、黙念をしている瞼(まぶた)の裏側が赤い光でいっぱいになって、疲れがすっかり取れてしまった。
それらのことも含めて、今朝のように気功の指導者としての自身の鍛錬を怠っていなかった場面を目撃して私は胸にジーンと来たのだ。
そのずぶ濡れの運動靴、今まで履いていたものは、山に登ってもう底が抜けてしまったからと、昨夜お店で新しく選んでいたものじゃないのかなあ。「服は乾かせばいいけれど、買ったばかりの運動靴はどうするのよ」、などと、奥さんに呆れられているだろうなあ。メンバーによるとそれから先生は葉さんとホテルのプールで泳いだそうだ。やるなあ。
杭州の空港に着いたときには雨はあがっていた。
いきなり5月の風が熱風のように頬を煽った。こういうこともあろうかと、コートをスーツケースに閉まっておいてよかったと思った。
何食わぬ顔をして集合場所に現れた朱剛先生の運動靴が乾いたかどうか確かめる暇もなく、私は機上の人となった。