先生は終始みんなに「おもてなし」の心を砕いていた。食事を勧めることだけではなく、自分の客を「もてなす」ことはどういうことなのか、という事を考えさせられた。それは、指導者として、また、教室運営者として必要不可欠なことだ。頭が下がった。
教える仕事-------------
私は幸いにして多くの優れた技や教養の持ち主、先生方と出会ってきた。どの先生もその道の歴史に残るような大家だ。が、その中で必ずしも全員が教え上手ではなく、私との相性がいいわけでもなかった。
師が一般に「自分の技を盗め」と教えることには頷ける。そうでなくては本物を掴むのは難しい。しかし、手ほどきも大事だ。自分の工夫を次代に伝える役目も先人にはある。ところが中には本気で教えようとしない名人もいることは確かだ。教える氣がなければ教室や弟子を持つべきではないのに。山にでも篭ってひっそりと孤高に生きるほうがどれほど修行が進むことか。それに自分を越える素養を弟子に見出したとき、潰してかかる変人もいる。すっかり師に才能をもぎ取られてしまったかのように見受けられる古参の弟子を随分見てきた。痛ましかった。(いや、それは彼自身の才能だろうが)
今回ご一緒したお弟子さん達を見ていると、「健康でいたい」という目的を一(いつ)にしてじつに伸び伸びと振舞っている。良い意味でのマイペースで自分の世界を持っている。悪意や嫉妬や遠慮がない。これは師である朱先生のお人柄を映すものだろう。
さて、気功のツアーか、養豚(ようとん)ツアーか?普段は1日2食の私がお粥といっても朝しっかりと食べ、お腹が弱いからと、油物には手を出さず、念のため毎日「大草胃腸散」と「梅肉エキス」を飲みながらも、夜はビールをはじめ、勧められるままに盃が重なり、というわけで、旅の終わりごろはすっかり下腹が出て体重が増えてしまった感があった。
船上の胡弓-------------
船上での食事も終り、希望者は部屋で40分ぐらい朱先生と瞑想した。良い気分だった。そのうち甲板から胡弓の素晴らしい音色が聞こえてきたので目をあけると、窓越しに朱先生をはじめ、先輩達が気功を楽しんでいた。(私は瞑想ではなく寝ていたのか?)部屋には二人しか残っていなかった。私も出て行って少し仲間に加えてもらった。
胡弓は演奏家のKさんが弾いている。彼女のために先生が上海から練習用の胡弓(とはいっても立派なものだった)を求めてきて、黄山に登るときもTさん(男性)達と手分けして肩に担いでいたものだ。朱剛先生がスーツの肩を胡弓を担いだ紐の赤い色で染めてしまいながらも、どうして携帯していくのか謎がとけた。天都峰の頂上で胡弓の音色に合わせて気功をやったのだと後で聞いた。
彼女は目鼻立ちのはっきりした人で、インターチェンジのトイレで南から来た中国の人に「北京人?」と聞かれていた。「北京人」と聞かれるのは名誉な事だ。「日本人よ」と私が返事をしたら相手が意外な顔をしていたが、なるほど明眸皓歯の大きい瞳で彫りの深い北京の美人顔だ。その美人の胡弓の音がいい。みんな湖上の風と胡弓の調べに酔い痴れて暫し爽やかな気功の世界が出来上がっていた。
それに彼女は芸術家特有のスピリチュアルな感覚に優れていて、黄山を下りてきたときの街角での買い物のとき、翡翠のブレスレットが最初に彼女の目に止まり、結局それを私が買うことができたのも何かのご縁だろう。(300元のを150元に値切って買ったのは自分でも驚いたが、葉さんによれば、「まあまあでしょ」だった。)
童心に返って-------------
ゆるやかな調べと波に乗って船は千島湖をゆっくりと回った。
その後、島と島を繋ぐ手漕ぎの渡し舟に4人ずつ救命具をつけて乗ったり、吊り橋(1人9元)を朱先生がわざとピョンピョン飛び跳ねて大きく揺らして皆すっかり童心に返ったり、孔雀や緋鯉の群れを観賞したりして時間が過ぎていった。
千島湖リゾートホテルは恋人同士で来るにはぴったりな宿だった。
次の日西湖遊覧は雨の中だった。この風景は1元札の裏の模様に採用されている。臨済宗霊隠寺は雨だというのに人でぎっしりだった。楠木を27本継いで作った金色の大きな阿弥陀様の像の前で何故だかNさん(女性)とぼろぼろ涙をこぼしてしまった。仏の世界に圧倒されて、多くの人が訪れる理由があるんだなあと納得できた。
夕食後の観劇(180元)は1時間で十分に楽しめた。ミュージカル宝塚風、武術、雑技、あのいろいろな賞をとったことで有名な千手観音の踊りと盛りだくさんだった。
7、800人は入れる劇場は超満員で、スイスの国旗を振っている数人もいた。
座るときに、座席の上のものを手に取ると、プラスチック製の指を広げた手の形が3枚、棒につけられている。見回すと拍手のかわりにこれをパタンパタンとやっている。ここだからこそ思いついた小道具だ。盛り上がる場面を逃さず、私は周囲と競って力いっぱいこれを振った。
あんなに楽しんだのに、終演後買い物に行く余力がまだ私たちには残っていた。
さらに希望者で10時にKさんの部屋に集まる予定も出来た。杭州の夜は長い。