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「 中国気功研修旅行記 私見 」

・・・・・・2007年度禅密気功中国合宿4/25〜30・・・・・・

◆ 桃源郷を訪ねて ◆ 

『帰去来之辞』、『五柳先生伝』などの作者、陶淵明(陶潜)の『桃花源記』はあまりにも有名な文章だが、特に歴代の皇帝が不老不死の薬を求めてその国を探させた逸話は枚挙に暇がない。
唐代の「詩聖」と呼ばれた杜甫に対して、「詩仙」と呼ばれた李白も、756年頃安徽省黄山に登ったと伝えられている。その折、訪れた県(いけん)の風景を、まるでこここそが桃源郷だと次の五言絶句をものしている。
通訳の趙(しょう)さんの紹介によると以下の通りである。
 県 小 桃 源   yi xian xiao tao yuan
烟 霞 百 里 間   yan xia bai li jian (注)烟(煙)
地 多  草 木   di duo ling cao mu (注)(霊)
人 尚 古 衣 冠   ren shang gu yi guan
(閑話休題)

簡体字-----------
中国の文字が1970年、簡体字になってからは、字で意味を判読する事が難しくなったが、やはり、霊魂や魂魄は『霊・靈』の字を使って欲しい。カタカナの「ヨ」に似た形の下に「火」である。(真ん中の横線は抜き出さない。私のPCは抜き出してしまうので不正確)「火」をエネルギーと捉えれば意味として少しは入っていないこともないが、これでは天の下、広く宇宙に存在すると信じられているもの、確固たる存在そのものの意味が含まれていない。勿論、霊のもっと旧字体は雨の下に口が3つあるほう(靈)だが、それは時代が下っても表音を崩しては居ない省略のされ方をしている。それに書き下し文を発明した日本人とは筆談で用が足りるという民族の関係も楽しいではないか。
それにしても表意文字を完全に表音文字として作ってしまおうとした簡体字の歪(ひず)みは歴史、文化の伝統・継承という視点からは納得できかねるものだ。(韓国のハングルにも同じ事が言える)
西湖の畔にある市の木に定められている楠木に囲まれた霊山「霊陰寺」(れいいんじ)の大看板はそういう意味で残念だった。が、右書きの比較的小さい扁額の「靈隠寺」江澤民書があってほっとした。彼は現代の人なのにこういうところはちゃんと伝統に則って歴史的な字体で書いたのだなあ、と思った。
2004年夏、二松学舎大学で日本語の研究の恩人ドナルド・キーン氏をゲストに中、韓、日、東南アジアと正字体復活を願う学者達の会合が持たれたが、その気持ちがわかる。漢字文化圏の文化や歴史を大切にすれば、もっと現代の各国の相互理解が容易になる。今後も彼らの地道な活動が期待される。我々ももう一度表意文字としての漢字の存在を見直したいものだ。
(話を戻そう)

黒い石-----------

季節は丁度四月末。木々の緑の勢いが良い。彼の地には李白が歩いたといわれる道や、観て絶賛したといわれる瀧が今も残っていた。建物や道路は新しく立派な物になっていたけれども、水と緑豊かな風景は、まだまだ往時そのものを偲ばせるものがあった。また、その周辺の歙県(きゅうけん)も県とおなじく、水量の多い緑豊かな地で硯の名産地だ。硯でなくとも黒い石がたくさん採れて建築材料の柱に使われていた。
山を下りてきたときに、何人かの人はその地の硯を求めた。朱剛先生お勧めの店は立派な硯の宝庫だった。作品を触らせてもらったが、頬刷り(ほほずり)をしたくなるほど表面がなめらかで、よい氣が籠もっており欲しかった。が、さすがに小さなものでも日本円で何万円もしては私には手が出なかった。すばらしい氣の持ち主のO婦人は、これを手元に置いて愛でるのだという。それを想像すると、とてもよく似合う光景だった。
歙(きゅう)の名は他の地のどこにも見当たらず、始皇帝が付けたと言われ、(い)の字は文字通り黒い石が多いところからつけられた地名だそうだ。(県と市の単位は日本と逆で市の方が大きい。つまり、安徽省黄山市の中に歙県や県があるということ)
県古村群のひとつ西逓村(西の駅・乗り継ぐ馬を休息させる地として置かれた村)を見学したが、ほぼ昔の佇まいを残していて、しかも、その中で人びとが生活していた。わざわざ上海から来たという学生達が写生していた。
歴史的建造物ではやはり文化大革命の傷跡が痛ましく、歴史の現実から学ぶものは多かった。

水と緑の地-----------
そこから車で1時間半の同じ地方は映画『グリーンデステイニー』(Green Destiny)の撮影場所だったと聞き、画面の中の湖や竹薮の美しさを思い出した。通訳の趙さんの実家はその中心地の池(人口の池で600年前に作られた)の傍にある、300年経った家だそうだ。アン・リー監督、チョウ・ユンファ、チャン・ツィーイー主演のこの映画は活劇場面も、風景の美しさも他とは群を抜いており、2000年にカンヌ映画祭で絶賛されて以来、明くる年のオスカーでも評価された。世界的に認められた作品となった。武術に励んでいた私のかつての現役時代(青春時代)20年間を思い出し、武人としての血が騒いだ作品だ。近いうちに訪れる縁もあろう。
これらの地に足を踏み入れたときから、気功の技をいちいち出さなくてももうすでに、大きな氣に包まれて、風景と私とはずーっと一体になっていたような氣がしていたのは錯覚などではなかったはずだ。
行く先々で、労宮(ろうきゅう・掌の真ん中あたり)の熱は高まり、びりびりして、しかし気持ちが落ち着いていて、瞑想をした後の様に爽やかな気分が続き、体内からエネルギーが湧き出てくる実感が始終あった。

歴史と調和と-----------

保存されている町並みも、茶畑も、水牛も、軒に干された塩詰めの魚、肉も、新しく作られた街路樹も苺のビニールハウスも、しっくりと調和しており、何もかも併せ呑みながらゆったりと進んでいく巨大な龍、中国の姿を垣間見た思いがした。
農村の過疎化という重大な問題を孕みつつ、額に汗して、段々畑に竹の竿に水や肥料を積んで登り、山で駕籠を担ぎ、月に現金をほとんど使わない自給自足の生活をしている多くの人々と、大都会の喧騒の中で簡単にアルバイトのできる若者達と、インターネットを駆使し、事業で成功して外車に乗って高速道路で郊外の大きな家に通っている人も、みんな、みんな現在の中国を映している人々だった。
旅行者の一員として、その大きな現代の空気の只中に僅かに数日立っただけだったが、氣の世界を通してますます自己の精進努力を誓う気持ちが強くなったことは言うまでもない。
黄山気功研修旅行に参加させて戴けたことに心から感謝している。

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