「 修行と祈りの地 」 その2

修験道しゅげんどう霊場れいじょう大峯おおみね山・天河大社てんかわたいしゃ龍泉寺りゅうせんじ

天河大社(大峯本宮 天河大辨財天社)

役行者えんのぎょうじゃ弥山みせん山頂に祭ったとされる弥山大神が天女に姿を変えて大海皇子おおあまのおうじみこの戦勝を祝福したことから、壬申じんしんらんに勝利を収めて天武天皇になり、この天女の加護に報いるため、神殿を造営し、「天の安河の宮」とされた。これが「天川」の地名ともなったと伝えられている。
御祭神は中央に辨財天、右に熊野権現(本地仏・阿弥陀如来)、左に吉野権現(蔵王権現)がお祀りされて、神仏習合の形態を今も残している。
弘法大師空海の参籠後は、大峯参り、高野詣と併せて多くの人が訪れている。

日本三大弁天の宗家。音楽や芸能の神様として御利益があると有名。
なるほど、神殿に相対して立派な能舞台がしつらえてある。
映画「ガイア」の監督も、試写会を必ずここで行っているという。
私たちの前には神殿でバイオリンの演奏を奉納して、成功祈願をしている組がいた。
「家内安全」と「心願成就」をお願いしたら、快く、しかも厳かに、20分近くも、祝詞のりと、真言、般若心経とをあげてくれた。
打ち合わせでは、ほんの少しの説明しかする時間もなかったのに、禰宜ねぎ(神官)はこちらの意向をよく汲み取ってくれたおもてなしで、気持がす〜っと晴れた。

弘法大師空海は現在ではこの大社のご門前に据えられた来迎院らいごういんから、毎日大峯山に徒歩で登ったという。片道7時間以上はかかったのではないか。
「朝は早かったのでしょうねえ」と私がつぶやくと、2日間、貸切にしている大峯タクシーの方は「朝1時頃から支度をして、真っ暗な中を帰ってきて、毎日365日、登り続けられたそうです」と言う。
今でも鹿や猪が出て来るところ。当時の獣は熊も含めてもっとたくさん出没したであろうに。

境内の銀杏の大木は弘法大師お手植えとされており、入り口のしだれ桜の古木も大切に保存されている。
境内脇の石碑は「あ字観の碑」。「あ」という梵字ぼんじ(サンスクリット語)を中心に23文字の光明真言こうみょうしんごんが刻まれている。これは一切万物のみなもとである宇宙を表すものだそうだ。
梵字は美しいなあ。

龍泉寺の護摩と八大龍王

龍泉寺は真言宗醍醐だいご派大本山。大峯山の護寺院のひとつ。
ご本尊は弥勒みろく菩薩。役行者えんのぎょうじゃ、聖宝理源大師、弘法大師、不動明王がまつられている。
白鳳はくほう年間、大峯開山役行者が修行のおり、山の麓の洞川で湧水を発見。この泉のほとりに八大龍王尊をお祀りして、水行をされたのが龍泉寺の始まりであると伝えられている。
後、修験道中興の祖聖宝理源大師によって再興され、今日に至っている。


護摩(火)
まず「火」だが、個人で護摩を焚いてもらうというのも初めてのこと。
真言と般若心経と法螺貝ほらがいと、若い僧侶二人の息はぴたりと合って、受付のときの白装束しろしょうぞくはかま姿から変身した、山伏やまぶし姿も一段と映える。
思わず「かっこいい〜」とミーハーな発言をしたら、より若い方の僧が頬をぽっと染めたのが可愛らしかった。(これだから女は入れないんじゃ!と行者でも出てきて叱られそう)

わずか直径1p四方の護摩木を14〜15pほどの長さの四方に互い違いに重ねていく。室内だから意外に小さい物だと思ったのは火が付くまでだった。

燃え上がる炎が真言の響きと共に、風もないのに激しく揺れ動き(燃焼すれば空気の流れができるので当たり前のことだが)神秘な世界が出現した。

炎は天井近くまで上がる。心の中で僧侶に和して般若心経を唱えながら、それでも火事にならないかと、思わず天井を見上げる。と、炎の中から次々と、しかもはっきりと仏様の形があらわれ、弥勒菩薩、孔雀明王、阿弥陀如来、などなどのお姿に見えた。
鳳凰が炎を取り囲んで上に向かって羽根を広げ、龍がやはり炎の中で右から左巻に昇って行き、大変な光景となった。

きれい。炎は生きている。

事前に写真撮影の許可を受けていたものの、あまりのことに、シャッターチャンスを逃してしまう。姿の残りの部分だけをかろうじて収めることができた。

  

龍の池と瀧(水)

貴田先生が飛騨のたくみに彫らせて寄進した八大龍王を拝見して、龍泉寺境内を散策した。
解説書によると、昭和21年以降この境内は女人禁制が解かれたとある。
瀧の水に手を浸ける。非常に冷たい。不用意に浸かると心臓麻痺を起こしそうだ。
修行者は、こうして肉体の限界に挑戦し、乗り越えて行くのだろうな。
尊敬と共に憧れの念がわいてくる。
両手の平を見ると、エネルギーが高まったときに現れる金粉がいつもよりたくさん吹き出してきた。
しかし、冷えは養生法から言えば女の大敵なので、私はどんなことがあっても瀧行はご遠慮申し上げようと思う。

1985年7月、日本名水百選にも選ばれた洞川湧水群どろがわゆうすいは「ごろごろ水」と呼ばれている。
水質は炭酸カルシウム。水温は10.4度。西日本の名水中、剣山つるぎさんに次ぐ、冷たい湧き水。街のあちこちで、山から引いた水を終日流しっぱなしにしている。
この水は、小泉川、山上川、天川、十津川、熊野川、太平洋に流れ込む大河の源流のひとつだ。
私はひょうたんの形のペットボトルで売られている水を370円で買った。そのことを宿の人に言うと、嬉しそうに、しかし複雑な顔をしていた。

東京に戻って、何気なく友人に天河の話をしたら、この「ごろごろ水」をいつも通販で取り寄せ、飲んでいるとの返事。
それでは話が通じると、偶然入ったオーガニックをメインにしているお店で、その友人に写真を見せていた。
「お護摩ですね」と声をかけてきた女主人は、7年間比叡山で修行していた尼だった。
その修行の専門家に「写っているこれらの仏様はよく成仏されています」と言われたのが嬉しかった。
何というご縁もあるものだろうかと、今回の旅の重さをしみじみ感じた。

炎と水と宇宙に繋がる氣の柱を目撃し、森を巡って歩き、瞑想し、時の流れに添ってみた二日間。こういう旅をこそ求めていたのだということを実感した。