◆ 霊場へ導かれて ◆
私はこの現代で、日本の大地に生まれ、育ったことを幸せに思っている。 記憶の最初から、八百万
ご縁により私達夫婦は、2008/05/05〜6 大峯山の大先達
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世界遺産 ◆
平成16年(2004)7月、日本で12番目の世界遺産として、紀伊山地の霊場と参詣道が登録された。「大峯奥駈道」「霊場吉野・大峯」はその主要な構成要素として知られる。
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修験道 ◆
修験道とは、日本古来の自然崇拝に基づく神道、特に山岳信仰を礎とし、大陸から伝わって発展した仏教、道教、陰陽道などが融和して完成された神仏習合の我が国独自の宗教である。
修験道は日本人の優れた国民性の現れである、「他者を受け入れて融和する寛容さ、万物すべてのものに対して感謝の念を抱き、平和をこよなく愛する」ということを具現化するための手段としてあるので、祈りの言葉も、「祝詞
これはとても自由でやわらかい発想で、なかなかいいなあ〜、と好感が持てた。
というのも、宗教の中には厳しい戒律のもとに、このお経やマントラ以外は唱えてはならない、とか、唯一絶対の存在である神以外は信じてはならない、とか、とにかく他を廃し、抹殺することを聖戦などと称して正当化しているものがあることを見聞きしているからだ。
これでは、どうも偏っているのではないか、と矛盾を感じざるを得ない。
その点、修験道は「おおらかで」いいなあ〜、と思ったのだ。
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女人禁制 ◆
けれども、修験道には落とし穴が・・・・・。
修行のシンボル(聖地)の大峯山は日本唯一の女人禁制の山として知られる。(期間を限って禁制にしているところは他にもあるが)
私は女だった。貴田先生の「女人結界門」のところまで行け」とのご指示でそこまで行った。
石柱には「從是女人結界」の大きな文字が。(是れ從り女の人は入れませんという境界線)
早速写真を撮る。
私には修行に大まじめに取り組んでいる男性たちの邪魔をするつもりは毛頭ないことを、まずお断りしておく。
まあ、片道3時間半ではトイレに行かない人はいないでしょう。女性は物理的に男性と違って自分が使ったものの持ち帰りをしないと山を汚すことにはなる。ということはある。しかし、「女人禁制」はそういった物理的な意味での女側からの問題を指しているのではないことは明らかだ。
ただ不思議に思う。
修験道には「他者を受け入れて融和する寛容さ」があったのではないのかなあ。
そうか、彼らの考える「他者」の中に「女」は入っていなかったのだ。
だから「女人禁制」は男性達が作った掟であって、神様仏様が作ったのではないと知れる。
「女性を山に入れないのは平等の考え方からすると不当だ」とすでに強行突破登山してきた女性のレポートをネットで読むと、何も、「女は入れない」という「場所荒らし」をあえて「今」しないでも、登るのはよく話し合いをしてからでもいいのになあと、心が痛む。
平等という名の元に、現代風の解釈のみで、六根清浄
さて、強行突破して登頂した女性達は、果たしてお山で神様と対話できただろうか。
それがとても気になる。
お山は神と対話するための修行の場として拓かれて来た場所だから、神に出会えなければ男であろうと女であろうと、登った甲斐がないのであるから。
まあ、神様仏様は人間などより、もっともっと大きい存在なので、全てを赦し、見守ってくださるのだろう。
出逢えるかどうかは本人次第だから、心配する必要はないか。
神様仏様と出逢うと、人間変わるよ〜。何より寛容になるよ〜。(これ、男女両者に言っているのですけれども)
この「女人禁制」については、平成19年に出された「天川村ガイドブック」(天川村・天川を学ぶ会)によると、役行者が山に入って修行中、心配して後を追ってきた母を谷のこちら側に住まわせて、時々行者のほうから母を訪ねたという逸話により、此処から先は修行の邪魔になるので、女は入ってはいけません、ということになった、決して女性差別ではない、とその謂れに言及している。
ここは「女人禁制」を問題として考証する場所ではないので、これ以上は触れない事にする。